息子が「特別支援学級」(以下、支援級)に所属するかもしれない。
(実際に小3現在も所属しています)
支援学級を考えるにあたり、抵抗感がとても出ました。
絶対に「通常学級」がいい!
そう思う保護者はとても多いようです。
実際の支援学級はどんな場所なのでしょう。
昔とは違う、現代の支援学級の様子
かつて支援級といえば、パッと見て分かる障害のある児童が学ぶイメージでした。
人数も少なかったように記憶しています。
実際に見て驚いたのですが、現代の支援級は、パッと見て障がいが分かる子はそこまで多くないです。
一度足を運んで、自分で見てみるのは、本当に本当に大切です。
支援学級の雰囲気は、学校によって全然違います。
その年度の担当の先生方によってもガラリと違ってきます。
校長先生の裁量が大きいので、校長先生が異動になると、支援学級の雰囲気も変わります。
支援級では、体が不自由な子は見て分かりますが、
あとの子たちは、見た感じでは、あるいは実際に話してみても、何が問題なのかよく分からない子が多いという印象です。
(個人の感想です)
昔と違って、支援体制が広がって、整っているということだと思います。
昔は「発達障がい」はなかったのです。
なので、今でいう「発達障がい」の子たちは「通常学級」でみんなまとめて過ごしていたのだと思います。
かつて「通常学級」にいた発達に凸凹のある子たちが、
現在は、支援級に移っているとでも言いましょうか。
私の義父は、ある化学技術の研究者でした(今は定年退職しています)。
義父は、今で言うところの「発達障がい」に当てはまると思います。
●空気はまったく読みません。
●相手の気持ちも理解しません。
●思ったことを、そのまま口にします。
●相手を傷つけたことに気づきません。
でも悪気はないのです。
義父の子ども時代の話を聞けば聞くほど、今の基準だと”療育を紹介”されそうな話ばかり。
当時は、「あらあら、頑固な子ね~」程度で収まっていたのだと思います。
戦後の混乱期でバタバタして、
みんなまとめて一緒にして、ざっくり育てていた。
そのノリで、当時はそんなに問題もなかったのだと思います。
義父みたいなタイプの人たちが、
今ならみんな「発達障がい」と診断されて、
支援級に所属しているのではないでしょうか。
支援級の雰囲気は、義父の世代どころか、
私の代から見ても、本当に様変わりしています。
支援学級がどんな雰囲気なのかは、学校によります。
学校によって異なる支援体制
特別支援学級には2種類のクラスがある
一口に特別支援学級といっても、2種類のクラスがあります。
●知的障害の学級
●情緒障害の学級
この2種類です。
この区別は、学校の裁量がかなりあるようです。
学校によっては「知的クラス」「情緒クラス」いずれか1つしか設置されていないこともあります。
この場合、あてはまるクラスに行くために
学区を越境して近隣の小学校に入学するケースもあります。
(そういった希望は就学相談で伝えます)
両方ある学校でも、便宜上分かれているだけで
実際の活動はみんな一緒にやる学校もあります。
逆に、「知的」と「情緒」がはっきり分かれていて
行き来がほとんどない学校もあるようです。
どちらに所属したいか、親が決められるわけではない場合も多いです。
学校の状況で支援体制が変わり得る
学校では、正規の教育職員のほかに
「特別支援員」の先生を雇用している場合があります。
これは市町村が採用していたりします。
「特別支援員」の先生が何人いるか、などでも
支援体制は異なってきます。
本来小学校はマンツーマンで支援する仕組みがありませんが、
場合によってはマンツーマンの指導を受けられることもあります。
たとえばある年度に、
「知的クラス」に属する子が1名のみだった場合などです。
またその場合、
逆にその1名の「知的クラス」に属する子を
「情緒クラス」で一緒に授業を受けさせて、
実質上「情緒クラス」が「知的クラス」を吸収する形になる、
などの変則もよく見られるようです。
まとめ
●年度によって変わる、
●担任の先生によって変わる、
●校長先生によって変わる、
など、支援体制の変化はよくあることです。
毎年移り変わるもの、くらいに思っていると良いでしょう。